取り越し苦労

そう言ってしまえば、それで片付けられてしまう苦労が私の人生には幾度とあっただろうと思う

大きなことで言えば。次男の小学校の入学式に行けなかったこと、長男の中学時代の部活の卒部式に行けなかったこと、だろうか…

 

次男の入学式は。ちょうど年長さんの秋頃、パニック症状が出るようになり・・「また苦しくなるのでは…❓️」 と、人混みに出向くのを避けるという私の回避行為が始まった。

長男の卒部式は。私が保護者会の会長を務めていたのだが、卒部式の日取り等私達の意向を汲もうともしなかったことなどから新会長さんの私への敬意が感じられず・・「苦しい思いをするのでは…❓️」 と、「行きたい」 気持ちになれい自分の気持ちを大切にするという形ではあるものの、起こるかどうか分からない未来に思考があることは事実。

どちらも過去を受け入れている

次男の入学式に行けなかったことは。それから9年間ずっと傷として心の中にあったが・・色んな葛藤を持ちながら乗り越えた9年間でもあり、中学校の卒業式で大きな感動を呼んだ。

長男の卒業式に行けなかったことは。世話を焼いて来た可愛いチームメイトや・何より長男の笑顔とキャプテンとしての晴れ姿がこの目で見られず悲しい思いをしたが・・「観られなかった」という後悔をしたくないという思いが、卒業式と・卒団式の間隔が数日しかないというハードスケジュールながらも、次男のクラブチームでの卒団式に出席する原動力となったことにより自分の中で「無駄なピースなんてない」と納得させることが出来ている。

 

がどちらに関しても、自分の思考はどこにあるかと考えたとき、「今」にはない。「過去」にこういう思いをしたから、「未来」で同じ思いをする、同じ気持ちになるかも知れない。

過去の経験を行動を取ることが出来ることは、人間の生活においてとても役に立つ。例えば「この曲がり角は視覚が悪いから、ゆっくりと通ろう」と注意して行動することは事故防止に繋がり、私達を「守る」ことが出来る。

しかし。心の傷となった経験から形成された不安感や・恐怖心から来る思考は、私達を必死に守ろうするあまり・・逆にQOLを下げたり、心の奥底にある中核信念を覆ってしまい「自分の本当の気持ち」を見えなくしてしまう

上の例でいうと。「パニックになった恐怖」と、「自分に価値がないと思ってしまう恐怖」。後者は、保護者会会長という役職は自分にとってはとても重責でキツい一年間だった。が、第三者からの敬意が感じられないことにより自分が成し遂げたことは大したことではなく、その一年を重責と感じた自分はちっぽけな存在で価値がないのではないか…という妄想から来ている恐怖

後者の方は一年前の話だから、割と最近の話。「行きたくない、という自分の気持ちを大切にした」 からそれでいいと思っていたが、先月の次男の卒団式の際に改めて考えさせられ・・結局は回避だった、のではないかという結論に至った

「過去」の経験がなかったら…❓️

「過去」にそんな思いをしてないとしたはら…❓️

自分は本当はどうしたい

自分は何を大切にしたい

「行く」か「行かない」か迷うということ自体が、そもそも迷わせる「思考」「妄想」があるのではないか…❓️

今後は。自分の気持ちに寄り添う時、そのようにして考えたらいいのかなと思う

すると、二例のような「苦労」をせずに済むのだろう

「今」を生きるために🌈

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